久元市長が武庫川女子大学で講義 コロナ禍で街づくりを減速させなかった理由
久元喜造市長には、ときおり大学や高校から講師として学生に話をしてほしいというお願いがあります。
大学生や高校生からみると、自治体のトップはとても縁遠い存在。ですが、新型コロナの対策では、国の自治体がどう動くのかで、自分たちの生活が大きく変化することを実感したと思います。
そんななかでの久元市長の講義をこっそりと密着レポートしてみました!
武庫川女子大学のキャリアデザイン論という授業です。同大学では、ゼミなどの少人数のものをのぞいて、コロナ前なら大教室で行っていた講義が今でもオンライン。ただ、生中継ではなく、オンデマンド方式になるので、事前に収録されたVTRを自宅とかどこでも受けることができます。
神戸市役所で行われた収録には、経営学部の福井 誠教授と、そのゼミ生である3人の学生が参加しました。
未知の危機に鍵を握るのは歴史
講義のテーマは「大学、学生のまち神戸の取組みとポストコロナを見据えた持続可能な神戸の未来づくり」と、ちょっと堅そうですね!
ですが、最初のお話がとても印象に残りました。
阪神・淡路大震災があったので、駅前の開発で先行する大阪や京都にくらべて、神戸は三宮駅前が手つかずのまま。そこに就任した久元市長が力を入れてきたのが、三宮をはじめ主要な駅周辺の街づくりです。
久元市長は、新型コロナという未知の危機に立ち向かうには歴史に学ぶべきと考えたと、語りはじめました。人類は感染症との戦いを繰り返したからです。
そこで導き出した結論の一つが、
「街づくりの手を緩めることがあってはならない」
というものでした。
100年前のスペイン風邪に学ぶ
1918年から21年、世界人類は「スペイン風邪」といわれる新型のインフルエンザのパンデミックに見舞われました。神戸では約7000人の死者が出たといわれています。当時の内務省・衛生局が残した記録には、すでに大都市であった神戸市では、乳幼児への見回りなど先進的な感染対策がとられていたと書かれています。
一方で、その頃の神戸での街づくりの記録が残っていて、それに久元市長は着目しました。
制定されたばかりの都市計画法により街区を広くとって公園をつくりながら、路面電車を街中に延伸していこうとするものでした。阪急電車の大阪から神戸の開通が1920年。スペイン風邪が猛威を振るうなかで、開発事業をとめなかった証でした。
久元市長の次の言葉が記憶に残ります。
「過去の歴史をみると、未知のウイルスと戦いながら神戸の街づくりを続けなければならないと考えた。これが市政を運営する方針になった」
おもしろい街になっていく秘訣
講義では、久元市長が姿を現しつつある神戸の新しい街づくりを説明して、そのあとは収録に参加者した学生たちが質問を投げかけました。
北区の鈴蘭台に住む桐山 由妃(きりやま ゆき)さんは、新しくなった阪急のビルやサンキタ通りは人々が行きかう。ですが、南の東遊園地や海岸のほうはまださみしいままだと訴えます。
久元市長は「人を呼びこむには仕掛けがいる。だが役所の発想では、ストリートミュージシャンのようなおもしろい人を追い払いがち。例えば、三宮プラッツという広場では、利用するのに2時間で4万円も取っていて、ほとんど使われていなかった。そこで全部タダにした。すると夜に行ってみると賑わっている」と笑みを浮かべました。
歴史だけではない魅力を大事に
大阪市の中心部に住む日比 沙弥香(ひび さやか)さん。自宅のまわりはお寺だらけで歴史と文化を感じながら育ったといいます。そんな彼女から、神戸には歴史や芸術の魅力が薄いというと手厳しい意見が。。
「京都や大阪と歴史での勝負になると、なんともしようがない。京都は1200年前からの歴史が残っている。大阪は神戸より空襲での焼失エリアが小さい。とはいえ、芸術文化でいえば、神戸はジャズ発祥の地。ジャズを聞ける飲食店がたくさんある。そういった楽しみ方ができる街というのを大事にしたい」とこんどは冷静に回答した久元市長。
・
12月1日に行われたこの収録は、今日(12月13日)からオンデマンドで配信され、武庫川女子大学の受講生は見ることができます。
大学生が相手ということもあり、いつもと少し違った久元市長を垣間見ることができました。これからもこんなチャンスがあれば、またレポートしてみたいと思います!