神戸市西区の「太山寺」は、今も江戸時代も温泉とセットだった?!
神戸市営地下鉄「学園都市駅」から北東に2キロほどの所に、「太山寺温泉 なでしこの湯」と呼ばれる温浴施設があります。源泉かけ流し(加水加温なし)の湯が楽しめる、本格的な天然ラジウム温泉です。
兵庫県の特産品や産地直送の野菜が並ぶ売店やお食事処もあり、ごはんやお買い物も楽しめ、なんと宿泊することもできます。
そんな「温泉」と「太山寺」の間に、実は深い深ーい関係が…
そこで、神戸市文化財課で学芸員として勤務する私が、お伝えします!
太山寺温泉は江戸時代にもあった?
なでしこの湯の温泉は、すぐ近くにある歴史ある寺院、天台宗三身山「太山寺」の敷地内から湧き出したもの。
ただ驚きなのは、江戸時代の観光ガイドブック的な書物に太山寺が描かれているのですが、それに「温泉」という文字が明記されていたのです。
写真が無い時代なので、この文献には絵と文字で名所が紹介されていて、今とそれほど変わらない風景が描かれています。太山寺に行ったことがある人がこの絵を見ると、「ああなるほど、これが参道。階段をのぼって三重塔、こっちが本堂だ!」とすぐにわかるほど。
そして、この絵に「摩耶谷温泉」という記載があるのです!
太山寺の創建は、奈良時代に大化の改新で知られる藤原鎌足の孫、藤原宇合(ふじわらのうまかい)が、温泉に入ったときに夢にでてきた薬師如来に従って、この寺を建立したという伝承が残されています。
どうやら、昔からこのお寺と温泉はセットだったようですね。
もちろん、今の太山寺で湧き出ている温泉と摩耶谷温泉は、別の泉源です。ですが、なでしこの湯に浸かると、温泉から始まった伝承のあるお寺が目前にあるという、実に不思議な体験が味わえます。
地名に残るかつての盛況ぶり!
この太山寺の周辺には、「○○坊」という字名がたくさんあります。真善坊、宝光坊、密教坊…
これらは、かつてたくさん存在したといわれる太山寺の塔頭(たっちゅう)寺院の名前でもあります。塔頭というのは、太山寺を現在の企業にたとえると、傘下のグループ企業の一つ一つといったところでしょうか。
かなり広い範囲に、昔あった塔頭の名前があることから、かつての太山寺がかなり栄えていた様子が思い描けます。
というのも、一番多いときで太山寺には、41の塔頭があったと伝えられています。鎌倉時代の建物や仏像、絵画などたくさんの優れた名宝が今も残っています。神戸市内で唯一の国宝建造物である太山寺の「本堂」は、その頃に建てられました。
南北朝時代は僧兵を抱えていた!
それに続く南北朝時代は、南朝と北朝が抗争した戦乱期。後に南朝側となる皇族から太山寺にあてて、軍勢を率いて馳せ参じるよう命令した文書が残っています。
ということは当時、太山寺には軍ともいえるほどたくさんの僧兵(戦うお坊さん)がいたと考えられています。なので、南朝が頼りにしたといえます。
太山寺の軍勢は多くの犠牲者を出しながら、数々の合戦に参加し、果ては京都にも戦いにいったと伝わっています。
その一方で、太山寺周辺の領地は北朝の勢力が持っていたと考えられているため、本来は北朝とつながりが深かったようです。そのため、南朝と北朝の対立が激しくなるにつれ、どちらかに加担することが減り、太山寺は微妙な関係の一触即発の時代を過ごしたとされています。
そんななかで、現在まで太山寺が残っているのは事実です。見事なバランス感覚で生き抜いてきたのが伺えますね。
今なお残る非公開庭園がTV番組で!
かつてたくさんあった塔頭ですが、今も残っているのは数か所だけ。ですが、安養院、成就院、歓喜院には、それぞれかなり立派な庭園があります。
お寺に庭園?と首をかしげるかもしれませんが、意外とお寺には庭園がつきもの。例えば京都では、龍安寺庭園が有名ですね。
太山寺の安養院庭園は枯山水庭園で、秋にはたくさんの石で組まれたお庭に紅葉が映え、とてもきれいです。成就院庭園、歓喜院庭園もそれぞれ枯山水の庭園ですが、安養院とはまた違う趣のある庭となっています。
これらの庭園はいつでも公開されているわけではありません。まず安養院庭園ですと、春と秋に数日公開されます。ですが成就院、歓喜院は一般公開されておらず、見ることができないのが実情です!
そんななかで、2月2日(日曜)18時55分から19時に、サンテレビ『魅する神戸』という昨年はじまった新番組(本編4分)で、これらの庭園を含めた太山寺の魅力ある映像が流れます。ぜひご覧ください!