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王子動物園の「ズゼ」 姉妹都市リガ生まれが神戸にいる理由

ラトビア共和国の首都・リガ市と神戸市が姉妹都市になってから、今年でちょうど50年の節目です。そこで6月3日から6日まで、姉妹都市の交流事業を行うために、神戸市からの代表団を派遣しました。

私もその一員として参加することに…

そこで、普段はほとんど耳にすることがないこの街と神戸の関係や今の姿をお伝えしたいと思います。


王子動物園の「ズゼ」はリガ生まれ!

王子動物園には2頭のゾウがいます。32歳のオス「マック」と34歳のメス「ズゼ」です。ともにアジアゾウで、とても仲良しです。

王子動物園にいるとマック(左)ズゼ(右)

なんと、この「ズゼ」がリガ市からの贈り物なのです。

ズゼの母親は、ラトビアがまだソビエト連邦の一部だったときに、リガの動物園がモスクワの動物園から借り受けたゾウでした。ところが、1990年にズゼを生んですぐに、亡くなってしまいます。するとモスクワ側は、母親の代わりに、子どものズゼを返還するよう求めてきました。

そのときリガの市民は、リガで生まれたズゼを愛し、別れたくなかったので、募金活動でお金を集めて、なんとかズゼを買い取ったのです。

ズゼの運命変えた阪神・淡路大震災

ところが、ズゼが4歳になった1995年、リガの姉妹都市である神戸で阪神・淡路大震災が発生。街は壊滅的な被害を受けました。

そんなとき、リガ市から「何かできることはないか」と申し出があったらしいです。

そして、神戸からは「もしできるのであれば、王子動物園で飼育しているオスのアジアゾウ『マック』のお嫁さん候補として、『ズゼ』に神戸に来てもらいたい。そして震災で傷ついた子供たちを元気づけてほしい」とお伝えしました。

するとリガ市は、神戸からのこの願いをこころよく受け止め、ズゼを送り出してくれたワケです。

ところが、ズゼを知らないラトビア人はほとんどいないといわれたほど大切にされていたゾウです。リガの市民の一部からは、ズゼを手離すことに反対する声もありました。

ですが大震災の翌年、「被災した子供たちを元気づけるためなら」と、ズゼは飛行機に乗って、はるばる王子動物園にやって来てくれたのです。

あのパンダの「タンタン(旦旦)」が神戸に来たのが2000年。その4年前に来てくれたズゼは、子供たちだけでなく、大震災で将来が見通しにくかった神戸の人たちにとって、心の支えになりました。

この話は、リガでもよく知られています。

今回現地を訪問したときに、リガ市のオゾラ副市長も「子どものころ、ズゼが神戸に行くことになったことを覚えている。とてもさみしかった」と思い出話をされていました。

なので、在ラトビア日本大使館とリガ市役所が主催した記念写真展でも、ズゼの写真が飾られているのです。

ちなみに、マックとズゼの仔「結希(ゆうき)」が、千葉県にある市原ぞうの国にいます。ちょうど今月12日に10歳の誕生日を迎えました。

バルト3国、それぞれの位置の覚え方!

ズゼのふるさと、リガとは一体、どんな街なのでしょうか。

リガは、バルト三国の真ん中、ラトビア共和国の首都です。バルト三国の並びが覚えられない!という人にマメ知識。フィンランドも含めて北から「フェラーリ」と覚えるとよい、と現地在住の日本人が教えてくれました。フィンランド、エストニア、ラトビア、リトアニアの順ですね。

リガは「バルト海の真珠」と呼ばれるだけあって、古くからの美しい街並みが残り、世界遺産にもなっています。

というのも、19世紀末から20世紀初頭にかけてヨーロッパで花開いた国際的な美術運動「アール・ヌーヴォー」での建築が、ヨーロッパのなかでも集中して見られる場所でもあります。植物の茎のようなアーチやデフォルメされた人間を模した彫刻が、アール・ヌーヴォー建築の特徴です。

大国に支配された苦難の歴史

こんなに美しく、気品あふれるリガですが、その来歴は苦難に満ちています。端的にいうと、ずっと他国に占領されてきた歴史なのです。

リガという街が歴史上に登場したのは13世紀のこと。ドイツ北部の都市・ブレーメンの僧正アルベルトが上陸し、要塞を築いたことが始まりです。このころはハンザ同盟にも加入し、大いに栄えました。

しかし16世紀、ポーランド・リトアニア領になると、そのあとは、スウェーデンや帝政ロシア、ドイツ軍が占領。ソビエト連邦から独立回復を宣言したのが1990年なので、およそ400年もの間、大国からの支配に苦しんできました。日本に住んでいると想像もつかない、過酷な歴史です。

こういった歴史があるからか、リガの人たちは、自分たちの文化や自然をとても大切にしています。

例えば、街中のお土産屋さんでは、ラトビアの伝統的な文様を編み込んだ手編みミトンやラトビアの自然の恵みであるはちみつ、長い冬を過ごすための蜜蝋のろうそくなどをたくさん見かけました。マーケットには地元の新鮮なフルーツやお野菜がたくさん積まれています。

なんとソ連時代に姉妹都市に!

そんなリガですが、神戸と姉妹都市になったのは1974年。ソ連時代の出来事でした。当時は国レベルの話で進められたと記録に残っています。

そして、ラトビアがソビエト連邦から独立をした翌年の1991年、神戸は改めて「ラトビア共和国のリガ市」と姉妹都市を確認する協定に調印。この、ときに神戸側からリガに贈った時計が、今も市内の公園に残されていました。

ラトビア共和国の独立を祝し、神戸市-リガ市の友情のますますの発展を祈念し、贈呈いたします__と書かれた銘板に深い歴史を感じざるを得ません。

次回の記事では、リガの産業の「今」をお届けします。お楽しみに!

<この記事を書いた人>
こひつじ /市長室国際課
国際課に配属されて4年目に突入。東遊園地に設置されたストーリーポールの記事を書いて、この記事が2本目。リガ出張では現地への移動手段や用務の段取を 準備しながら、出張前にさらっとこの記事の骨子も作成した。
職場ではいつも笑顔でおっとりしているが、いざとなったら海外の相手方に対してタフな交渉家になる一面もあるという情報あり。

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