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能登半島地震 被災地に職員を送り込む後方部隊の実体【神戸市】

能登半島の被災地には、神戸市から現時点で20人ほどの職員が派遣されています。

ニュースや新聞で、応援に向かう職員の出発式を毎日のように見るようになりました。ですが、職員らを送り出した市役所側では、どのような活動をしているのか、紹介されることはほとんどありません。

そこで今回は、「保健師」の派遣に焦点をあてて、表舞台を陰で支える後方支援部隊の実体をお伝えします。

そもそも「保健師」って何する人?

保健師というのは、地域の人たちが健康でいられるように、保健指導や健康相談でサポートするのが仕事です。

看護師と同じく国家資格で、保健師になるには看護師の資格に加えて、保健師の資格も必要です。

保健師と看護師の違いを簡単にいうと、看護師の仕事が病気の「治療」を中心とした業務に携わりますが、保健師は病気自体の「予防」や病気の「悪化予防」が中心になります。保健師の約6割が、公務員として自治体や保健所で働いています。

そして、災害が起こると、保健師は欠かせない役割を担います。

というのは、避難所などで体調を崩す人が増えます。場合によっては、関連死に至るおそれもあります。そこで、保健師らが定期的に巡回したり、相談を受けたりして、被災した人たちの心身のサポートにあたるのです。

阪神・淡路大震災の経験者を派遣

大規模な災害が発生すると、地元の保健師だけではマンパワー不足。ほかの自治体にいる保健師の手助けがいるのです。

被災地に派遣する保健師を選ぶとき、神戸市はある工夫をしています。保健師3人ほどのチームのうち1人は、阪神・淡路大震災の経験者や、東日本大震災や熊本地震などの応援を経験した職員を選抜しているのです。

被災地では何が起こるのか判りません。そんなときに役立つのは、やはり経験。あの大震災を体験した保健師たちは、まさに百戦錬磨の判断や思考回路を持っています。

そして、災害対応の経験がない保健師たちには普段から手引書の見直しや研修を通じて当時の経験を伝承しています。次の世代の保健師たちが29年前の経験を踏まえた対応ができるようにするためです。

被災地に持参する予定の「寝袋」

被災自治体に負担のない業務引継

さらに、もう一つの工夫があります。保健師だけでなく、遠くの自治体から応援に来た職員は、1週間ほどで、第2陣、第3陣へと交代していきます。長期にわたって支援を続けるためです。

そんなとき、第2陣が来る前の日に第1陣が帰ってしまいがちで、被災した自治体の職員は新しく来た応援職員らに、いちから説明しないといけません。

じつはこれ、阪神・淡路大震災のときに、驚くほど手間が掛かったという伝説が神戸市役所に残っています。

そこで、第1陣と第2陣の職員たちが必ず現地で1日は重なるように派遣計画を組んでいます。こうすると、神戸市の職員間で引継ぎができるので、被災した自治体の職員に手間をかけません。

滞在日数が増えるので一見、非効率に見えますが、被災した自治体だから発想できる知恵だと思います。

派遣職員を縁の下で支える後方部隊

そんな工夫をしながら、1月8日から保健師3人を含む5人のチームを輪島市門前地区に派遣。第2陣と交代する13日まで現地で活動します。

保健師を派遣する部局をふと訪問すると、壁や机にたくさんの能登半島の地図があるのに、驚きました。

現地で活動する5人を、なんと20人近くの職員が支えているというのです。この後方部隊を束ねるのが保健師の山崎初美さん。神戸市に就職してから9年目に阪神・淡路大震災を経験。そのあとも、東日本大震災、熊本地震、西日本豪雨で現地に赴き、後方支援も指揮しました。

じつは保健師と住民との間合いは、平常時でも自治体によって差があります。

というのは、そもそもの医療機関の数や社会保健福祉サービスの状況が都市部と農村部では異なっています。さらに、関係機関同士が連携できているのかにも差があるので、医療や健康管理の上での環境に違いが出ます。

「現地に派遣した保健師から毎日報告を受けます。すると、熊本地震のように、近い将来の見通しや対策を提案するだけで被災した自治体の職員で対応できるのか、あるいは目の前の被災者へのサポートを丁寧に説明する必要があるのかが判ります。それに合わせて支援内容を変えています」

そういう彼女に、阪神・淡路大震災だけでなく、数々の災害を支援してきた神戸市のノウハウが詰まっているのを、垣間見た瞬間でした。

珠洲市でなく輪島市に行った理由

でも一つの疑問が残りました。総務省や指定都市市長会の取り決めで、神戸市の重点支援先は、同じ石川県でも珠洲(すず)市だったはず。

なのに、どうして輪島市に保健師らを派遣したのか、単刀直入に山崎さんに聞いてみました。

「神戸市としては珠洲市への派遣を希望しました。ですが、厚生労働省が輪島市のほうが状況が不明で被災者の状況もひどい。なので、ノウハウを持っている神戸市には輪島市でも【門前(もんぜん)地区】に行ってほしいと強く言ってきました。能登で一番厳しい箇所だそうです」

と彼女は答えます。たしか関西の指定都市では、輪島市は大阪市と堺市の支援先として決められていたはずです。

ですが門前地区は今、輪島市中心部から山に隔てられていて孤立状態にあります。避難所がどこにあるのかすら判らないようです。

1911年まで曹洞宗大本山總持寺があったので(現在の所在は横浜市鶴見区)、かつては「門前町」と呼ばれる独立した自治体でしたが、2006年に隣接する輪島市と合併したエリアです。

昨日話を聞いてから、テレビや新聞で門前地区のことが報じられているのか見ていましたが、皆無でした。報道関係者たちもたどり着けていないのかもしれません。

はっきり言って、珠洲市より厳しいです。そんななかで、29年前の大震災をはじめ経験豊かな神戸市に白羽の矢が立てざるを得なかったのだろうと思いました。

山崎さんには輪島市に派遣された5人からの報告を聞いた直後に話を聞きました。

さぞ派遣した保健師たちが不安なのではと気を使いました。

ところが、浮足立つことない彼女の発言と、その周りで淡々と仕事をこなす後方支援を担う職員たちの姿に、阪神・淡路大震災の経験の重さを改めて感じました。

<この記事を書いた人>
多名部 重則/広報戦略部長兼広報官、Forbes JAPAN Official Columnist
2003年から2005年に内閣府(防災担当)へ派遣され、国の阪神・淡路大震災の総括検証を担当。神戸市に戻ると危機管理室に配属。2007年の能登半島地震では直後に現地に派遣されると、阪神・淡路の経験を踏まえた「生活再建への7つの提言」を輪島市長に行う。
2011年の東日本大震災では、危機管理室に呼び戻され、福島県などから神戸に避難した被災者の情報を住んでいた自治体に届けて、被災地を離れたことで各種支援の網から漏れないようにする「避難者登録制度」を発案。
現在も国内で防災分野の主要な学会の一つとされる「地域安全学会」に所属。博士(情報学)。

多名部 重則 Forbes JAPAN 執筆記事

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