被災者向け広報ツールを神戸市役所で制作 珠洲市職員の負担軽減へ
石川県の珠洲市役所で、被災者向けの広報の仕事を手伝うために、神戸市から職員が派遣されています。
現地で寝泊まりしているのは2人。
ですが、この2人を前線部隊として、神戸市役所の広報戦略部、約40名の職員が珠洲市の被災者向けの広報をリモートで支援しようという考え方を持っています。
なので毎日、この2人との1時間ほどのウェブ会議が欠かせません。
じつはこの記事を書いている私、この2人の交代要員の1人として、きょう1月22日に珠洲市役所に入ることになっています。
なので、現地がどうなっているのか、気になって不安たっぷりです。第1陣の2人に聞いてみると、珠洲初日の夜は、1人は仕事場所で、もう1人は乗っていったレンタカー車内で毛布にくるまって寝たようです。
水道が出ないので水洗トイレが使えません。そこで、屋外に置かれたくみ取り式の仮設トイレを使うのですが、入るのにちょっと勇気がいると話します(私には勇気がないのでそれ以上は聞けませんでした…)。
というのもあり、初日からウェブ会議に参加しました。そこで聞いた被災地の様子をお届けします。
広報を担当する職員は一人だけ
まず、彼らが感じたのは職員の数の少なさです。神戸市では広報業務に携わる職員が40名ほどいるのに、珠洲市ではたったの1人。この1人がホームページ・SNS・広報紙などすべてを担っています。
ただ、昨年11月に人口が約8万人の自治体で研修講師をしたという上司が、広報担当は2人だったと言っていました。人口が1.2万人の珠洲市だと、1人でやっているのは理解できます。
となれば、その彼の負担を減らすのが、神戸市のできることと言えます。
珠洲の人たちの情報入手の手段は?
2日目のウェブ会議。珠洲市に派遣された奥田雄大さんが神妙な面持ちで、神戸市役所にいる私たちに語りかけてきました。
「ちょっと、本音の相談をしてもいいですか?」
彼は神戸市で、旧Twitter(X)、Instagram、LINEといった公式アカウントを巧みに操った発信が得意です。
珠洲市には公式LINEアカウントが既にあり、登録者も3000人以上。これをうまく使えば被災者に簡単に情報を届けられると、初日は意気揚々でした。
ところが、そのあと彼が避難所に行って、何人かの高齢者と話をして、どんなスマホを持っていて、どう使っているのか聞いたようです。
すると、LINEを普段使いしている彼のまわりにいる高齢者とはだいぶ違っていました。スマホを持っていますが、あくまで通話のため。画面をタップしたり、文字を入力するのが、厳しそうな人たちが多数派でした。
調べてみないと判りませんが、もしかすると都市と田舎を較べると、とりわけ高齢者のスマホの使い方に差があるのかもしれません。
しかも、珠洲市の人たちは65歳以上が51%。神戸市でも高齢化は進んでいますが、それでも29%です。
たぶん、奥田さんはウェブ広報を強化しようとする自分たちが、本当に正しいのか疑問を抱いたのだと感じました。
そんな現地の話を彼から聞くと、神戸側のメンバーのほうが頭を切り替えるのが早かったです。
「であれば、スマホが苦手な人たちにはチラシや張り紙で知らせると割り切ればいいのでは。LINEで情報を取りたい人もいるので、そこをカバーできれば十分。とにかく、今できることをやろう」
と口をそろえました。
とたんに、遠い珠洲にいる奥田さんの顔が緩みます。些細なことかもしれませんが、現地にいない私たちのサポートは大事なようです。
神戸で珠洲市サイトのバナーを制作
珠洲市の広報担当者が奥田さんに、避難所や自宅以外で生活をしている人に呼び掛けるウェブページ上に掲載する画像、いわゆる「バナー」をつくってほしいと頼んできました。
すると、奥田さんは、「このバナー、そっちで作ってもらえますよね」と、当たり前のように神戸市役所側のメンバーに依頼。
というのは、広報戦略部では2022年から、デザイナー、映像クリエイターからライターまで8名の専門人材が勤務。デザイン会社や広告代理店に発注せずに、自前でポスターやチラシだけでなくテレビCMの動画まで作っています。なので、バナー程度なら朝飯前。
待ってましたとばかりに、バナーづくりがスタート。これが神戸側への発注、第1号案件です。
続いてつくったのは、珠洲市公式LINEのトップ画面です。まだ平時のままだったので、昨日、震災版に切り替えました。
ウェブだけではなく、被災者に配布する紙チラシ作成のサポートも検討が始まりました。珠洲市役所に駐在する神戸市職員を通して担当課とうまく調整すればできそうです。
こんなふうに神戸市では、現地に派遣している職員を前線部隊と考えて、後方から息の長い支援をやっていく方針です。
という私は、この記事が公開される頃には、珠洲市役所に到着予定。
1歳のときに阪神・淡路大震災を経験。当たり前ですが、当時の記憶は全くありません。
でも、両親からはずっと「色々な人の支えがあって、いまのあなたがいるのよ」と聞かされてきました。
あの大震災のときに神戸を、そして私をサポートしてくれた人たちへの恩返しと思って、精一杯、被災地のみなさんに貢献できるよう頑張ってきます!
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