岐路に立つポートアイランド 神戸空港の国際化と阪神高速の延伸が好機?
神戸の人なら誰もが知っているポートアイランド。誕生した1981年には世界最大の人工島でした。
日本経済が急成長を続けていた1960年ごろ、海と山にはさまれた神戸の街は、人口が増える中で、住む土地が不足しパンクしかかっていました。一方で、神戸港では増え続ける貨物に対応する必要がありました。
1963年に神戸市役所で生まれた奇想天外な案がそれを解決します。その案は、増え続ける貨物量に対応するために、海を埋め立てて人工島をつくり神戸港を拡大する。埋め立てに使う土砂は六甲山地を削り取って、その跡地にニュータウンや大学の用地を造成して、増加する人口の受け皿にするというモノでした。結果、1980年ごろに神戸港はニューヨーク、オランダのロッテルダムに続きコンテナ取扱個数で世界3位の国際貿易港となりました。
今から振り返ると未来を予見していたこのやり方は、「山、海へ行く」と呼ばれるようになり、公共ディベロッパー(行政主体の開発者)として成功した神戸市は、世界中から注目を浴びることになったのです。
藤村龍至准教授からの大胆な提案
それから約40年が経った今、「世界初の海上都市」と呼ばれたこの島は、なにかしら、さみしい雰囲気があり、曲がり角を迎えています。神戸市役所では、毎年のように「ポートアイランドの活性化」という議題で会議が繰り返されてきましたが、なかなかいいアイデアが生まれていません。
ですが、2030年頃には神戸空港が国際空港となり、阪神高速湾岸線の西伸部にあたる大阪湾岸道路がこの島のほぼ中央を通るので、アクセスは激変します。そんなに未来の話でもありません。
そんななか、ポートアイランドの調査を依頼していた東京藝術大学准教授の藤村龍至さんから、この島を大胆に変えていこうとする提案があり、神戸市と共同で記者会見を行いました。
じつは私は、企画調整局でポートアイランド活性化の検討を担当しています。そこで、どうしてこの提案をしたのかを知りたくなったので、藤村さんに話を聞いてみました。
- なぜポートアイランドに着目したのか
私は1980年代のニュータウン開発とともに育った世代です。ですが、大人になってまちづくりの仕事をするようになると、子どものときに憧れだった郊外のニュータウンや海沿いの新都心が、高齢化や老朽化で、逆に課題を抱える場所になっていたのです。建築家としてこれらのまちのポテンシャルを活かして、将来像を提案していきたいと考えるようになりました。
そんなときに思い浮かべたのが、ポートアイランドです。父の出身が神戸で、小さい頃は祖母が住んでいたので春休み、夏休みごとに神戸に来ていました。その頃の神戸はポートアイランドと西神ニュータウンが開発中で、来るたびに新しい鉄道が開通し、まちができ、イベントが行われていました。特にポートアイランドは1981年のポートピア博覧会のあと次々と新しい建物ができ、自動運転のポートライナーに乗るのが楽しみでした。
ポートアイランドの未来を描くには、むしろ過去に遡るのがよいと思っています。設計された時点の議論からポートアイランドという都市の設計思想を明らかにし、現在の姿と比較してみる。そうすることで将来をどうすべきかを明らかにするというアプローチです。
- ポートアイランドの街はどこに向かうべきか?
ポートアイランドは、港に突き出した行き止まりの島として計画されました。ですが、今はさらに沖合に神戸空港ができたので通過点になっています。
さらに2005年頃から、三宮エリアとポートアイランドを結ぶ「港島トンネル」から南に延びる幹線道路から東側を港の物流のエリア、西側を人々が暮らして海に親しめるエリアと分けて考えようというプランが出てきました。それを島の中のまちにも反映して、もっとクリアに整理すべきだと思っています。
そこで鍵を握るのが、三宮やその海側エリアで進められている再開発の動きです。いま「フラワーロード」と呼ばれる税関線が、三宮から東遊園地にかけて人々が歩いて楽しむ道になろうとしています。例えば、異人館で知られる北野エリアにある移住者向けのシェアオフィス「KITANOMAD(キタノマド)」の皆さんが東遊園地のマーケットで出店するといった、南北での交流が生まれています。
そこでこの流れを、神戸大橋を越えてポートアイランドまで引き込みます。すると、もともと花や緑が豊かな道が、カフェがあり、マーケットが開かれている、歩いて楽しくなるストリートにアップデートできるのではないでしょうか。
PIリボーン・シンポジウムの開催
話はまだまだ続きますが、この記事ではここまで。こんな藤村さんのお話をもっと聞きたいと思われた方も多いのではと思います。そこで、3月13日に「PIリボーン・シンポジウム」を開催します。
藤村さんの提案をもとに、いろいろな人からいろいろな意見を聞いて、神戸市としての方針に取り込んでいきたいと考えてます。今回のシンポジウムはその大きなきっかけになると思っています。
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