震災復興事業が完了した新長田南、これからはどうなる?
放映中の朝ドラ『おむすび』は舞台を神戸に移し、神戸の人々が阪神・淡路大震災から立ち上がろうとする様子が描かれています。
そんな阪神・淡路大震災から30年の節目を前にしてようやく、新長田南地区の震災復興事業が完了。
(*新長田南……JR新長田駅の南側の、再開発エリアとその周辺のこと)
11月30日、鉄人28号が見守るなか、事業完了式典がおこなわれました。新長田南のこれまでとこれからを、広報戦略部ライターのゴウがお伝えします。
復興再開発事業って、じっさいどんなん?
新長田南エリアが阪神・淡路大震災でとくに被害の大きかったことは、神戸っ子の共通認識です。
でも新長田から少し離れたところに住んでいると、どんな復興事業がおこなわれてきたかを具体的に知る人は、そんなに多くないのではないでしょうか。私もその一人でした。
この復興事業、正式には「新長田駅南地区 震災復興第二種 市街地再開発事業」という長い事業名。建物や商店街などを整備する、いわば「ハード整備」のことです。
再開発の対象となったのは、下の地図の赤い線で囲われたエリア。
ここに、住宅や店舗・オフィスなど44棟のビルを建ててきました。その最後の1棟でこのたび完成したのが「新長田キャンパスプラザ」です(第1地区に赤い四角で記した場所)。
キャンパスプラザは兵庫県の建物で、県立の総合衛生学院、県立大学(の一部)、兵庫教育大学(の一部)が入ります。実際に学校として利用が始まるのは2025年の4月です。
市長、何度も「感謝」と「困難」
事業完了式典であいさつをした久元喜造市長。
「この、長く困難な事業を支えていただいた事業者や地域のみなさんに、心から感謝を申し上げます」
「感謝」「困難」の言葉を何度も使い、これまでに取材した式典の中でも、とくに思いのこもった挨拶だったと感じました。
「震災からわずか2カ月後に再開発事業を決定したことは、被災者が避難所で厳しい生活を送る中の決定とあって、厳しい批判がありました」とも振り返った久元市長。
私も一市民として、前から「さすがに急すぎたのでは?」と思っていたのですが、この取材を機に調べてみると、当時の法律では、災害が起こってから2カ月以内に復興の計画を立てなければいけなかったんですって。
でも実際にはそれどころじゃないよね、ということで、阪神・淡路大震災を契機に特別措置法ができたのです。
(*詳しくはこちらから)
さて、30年近くにも及んだ復興再開発事業が完了しました。じゃあ神戸市は、これから新長田南エリアに対してどう向き合っていくんでしょう?
担当部署に聞いてみると、空き家を活用した下町でのスタートアップの支援など、まちのにぎわい作りに力を入れたいとのことでした。
そうですよね。今回終わったのは、あくまでもハード面の復興。ソフト面=まちの活力や心の復興への取り組みは、これからも続きます。
新長田=都市×下町のいいとこどり
この日の完了式典に合わせて、近隣では「新長田未来フェス」が開催されていました。別のイベントも同時開催され、街なかはちょっとしたお祭りムード。
まちの人たち、なんだかわくわく楽しそう!
震災前の新長田を知る方たちにとっては、商店街のたたずまいもビルとなり、少し寂しい思いもあるかもしれません。
でも今日のみなさんの楽しそうな顔を見ていると、情緒って建物だけじゃなくて、人からも滲み出るものだと感じました。それこそBE KOBEの精神で、まちは人がつくるものだから。
それに、ザ・ビルのまち!になったのは再開発エリアだけなんですよね。新長田駅から徒歩10分圏内です。その外側は、昔ながらの路地が残ったりしています。
写真を撮るために再開発エリアと周辺エリアの境界線を歩いていたら、なんと3軒も銭湯を発見! 駅から10分で銭湯が3軒もある地域、かなり貴重なのでは?
新長田に住む職員に地域の魅力を聞いてみると、こんな答えが返ってきました。
「下町の雰囲気が好きな人はもちろん、(マンションが多いので)人との関わりを最低限にして都市的な生活をしたい人にも合うまちなんです。人恋しくなったら、下町エリアに行けばいいし」
なるほど! たしかに駅前には無印良品や書店、ハンバーガーショップ、コーヒーショップもあって生活には不自由しませんよね。
ここ10年ほど、アーティストの移住などでグッとおもしろさが増してきた新長田。昭和レトロブームによる社会の価値観の変化も、追い風になっているような気がします。
「新長田=都市×下町のいいとこどり」
これ、新長田の新しいキャッチコピーとしてどうでしょうか?
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