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五輪でスペイン随一の観光都市に! ガウディと民間主導が鍵を握る

バルセロナといえば、世界中の誰もが知っている観光地。3日前から滞在していますが、観光客の多さに驚かされます。

でも、バルセロナは1980年代までは、今のような観光の街ではなかったのです。イタリアから、フランス、スペインの地中海に面して点在する、美しいビーチがある街の一つに過ぎませんでした。

ではいつから、世界的な観光都市の地位を手に入れたのでしょうか。

それは、1992年に開催された「バルセロナオリンピック」がきっかけです。

五輪の7年前にまかれたタネ

今から10年前に私は、バルセロナに出張しました。どうしてこの街が、急速に観光客を増やしたのか解明したかったからです。

運よく、バルセロナ観光局のキーパーソンであった、イグナシダ・ダラスさんから話を聞くことができました。

バルセロナ観光局 イグナシダ・ダラスさん

――

彼が言うには、バルセロナ五輪の開催が決まった1986年に、すべてがスタートしたというのです。

バルセロナ市長と商工会議所会頭、つまり行政と経済界のトップが、五輪のあと、この街を観光都市にしていくことで合意しました。五輪で、バルセロナの名が世界の人たちの記憶に刻まれ、街並みの映像が世界中で流れる効果を最大限に生かそうとしたのです。

そして、二つの方針が決まりました。

一つは、ガウディに代表されるバルセロナの芸術・文化にスポットを当てること。

もう一つは、官民一体で観光を進めていく「バルセロナ観光局」を設置することです。

太陽とビーチの一本やりから脱却

それまでのバルセロナは、ふりそそぐ太陽の光と白いビーチ、そして青い海というのが、ウリでした。

ところが、ビーチであれば、フランスのニースやマルセイユのほうが知名度がありました。別の切り口が必要だったのです。

たしかに、建築家アントニ・ガウディ(1852年-1926年)が残した、サクラダファミリア、グエル公園などがバルセロナにありました。ですが、そこに観光客を呼ぼうとする考えが、その頃にはなかったというのです。

そこで、ガウディの遺産を観光の目玉にしようと舵を切ります。

五輪の2年後となる1994年、ガウディの作品群はユネスコの「世界遺産(文化遺産)」に登録されました。

バルセロナ観光局の正体

そして、同じ年に「バルセロナ観光局」が誕生します。バルセロナ市と商工会議所が活動資金を折半で負担する形で設立されました。

日本であれば、観光は100%行政が推進するのが当たり前とされていた時代です。画期的なやり方であったと思います。

バルセロナ観光局には会員制度があります。観光客が増えると恩恵を受けるホテルやレストランなどが加入して年会費を支払います。会員になれば、観光局の特設ウェブサイトに掲載されます。

しかも、掲載だけでなく、ホテルやレストラン、フラメンコやミニコンサート、街歩きツアーまでこのサイトから予約ができます。観光客には、とても便利なサイトです。

しかも、決済までできます。すると、手数料がバルセロナ観光局の独自の収入となり、観光プロモーションに使えるというからくりです。

ダラスさんが、「ホテルやレストランに会員になる義務はありません。ですが、このサイトや観光局はつくるマップに載っていなければ、3年たてばそのホテルが本当になくなるかもしれませんね」と言ったのを、いまでも鮮明に覚えています。

2013年時点で、バルセロナ観光局の収入のうち、税金に頼っているのはわずか1割で、残りの9割は自ら稼げるようになりました。

観光客が増えると、まずメリットがあるのは、ホテルとレストラン。彼ら彼女たちにお金を出してもらい、観光プロモーションを進める。正しい姿だと思います。

実際に、1990年に400万人足らずだったバルセロナの宿泊者数は、2013年には1600万人を超えます。

日本のDMO推進の礎?!

そんな視察から戻った私は、沈黙してしまいました。というのは、日本で観光は、行政が主導するのが当たり前。とても神戸で、バルセロナのように民間がけん引するようになると思えなかったからです。

ただ、バルセロナ観光局の実体は、国内でもだんだんと知られていくことになります。

近畿大学経営学部の高橋一夫教授が書いた「DMO-観光地経営のイノベーション」(2017年6月)で、バルセロナ観光局のことを、地域の観光資源つくり発信し街全体の変化をもららす地域団体、DMO(Destination Management Organization)の典型例だと紹介したからです。

ところが、その中身はすべて私がダラスさんから聞いたもの。

タネあかしをすると、バルセロナ出張は、神戸市と高橋先生との共同調査という形をとっていました。

というのは当時、神戸市の観光企画課長の中西理香子さんが、高橋先生に神戸観光の今後のあり方を考えたいと相談すると「欧米のDMOの視察研究をする予定です。一緒にやりませんか」という話になりました。

高橋先生と中西さん、それと私の3名で欧州に視察に行きました。が、肝心のバルセロナのヒアリング当日は、私しかいません。

というのは、高橋先生はワールドマスターズゲームズ関西大会の誘致プレゼン(2027年に開催)でイタリアのトリノにいました。中西さんも別の仕事で忙しく日本から離れらなかったからです。

ダラスさんの発言を一字一句を起こしたレポートを見た高橋先生は、驚いていました。これは日本ではまだ誰も知らないと…

専門家として高橋先生は、民間主導の典型例であるバルセロナのことを、国内で紹介していきます。すると、観光庁も日本にバルセロナ観光局のような組織がいると言いはじめました。

やがて、神戸でも2017年に「神戸観光局」が設置。じつは中西さんは今、神戸観光局の専務理事をしています。

10年前にオーバーツーリズム問題が

その当時、バルセロナ市役所に訪問しました。すると、観光客が増えすぎて、ごみが散らかり、貸切バスが路上に停車するので、住民たちが困っている。市の議会でも問題になっているということを聞きました。

日本でも話題になっている「オーバーツーリズム」の問題です。観光業界が主導するバルセロナ観光局は、さらに観光客を増やしたい。でも、観光地の周辺の住民には、観光客の増加は迷惑でしかないのです。

観光客があふれる2013年のグエル公園

バルセロナのやり方は、もしかすると民間主導が行き過ぎているかもしれません。ホテル業界が主導すれば、こうなるのは必然と思えます。

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それ以降、バルセロナ観光局の新しい情報を国内で見ることがほとんどありません。たしか、ダラスさんが言っていました。

「世界各国の政府、自治体が私に話を聞きたいと依頼がありますが、基本は断っています。今回は姉妹都市の神戸市のお願いなので、特別にあなたにお会いすることにしました。普通はここまでお話しないですよ。1万ユーロ単位(数百万円)のコンサル料を頂かない限りは…」

右から著者、ダラスさん、通訳さん

<この記事を書いた人>
多名部 重則/広報戦略部長兼広報官、Forbes JAPAN Official Columnist
米国シリコンバレーの投資ファンド「500 Startups」との起業家育成を軸にしたイノベーション施策を2015年に立ち上げた。2020年から映像クリエイター・デザイナー・ライターなどを副業人材を登用して市の広報業務の変革に挑んでいる。博士(情報学)。
じつは、妻も公務員で西区にある桜が丘中学校の教頭先生をしている。公開前のnoteの記事を読むよう言われて、いやいやコメントしているとか。

多名部 重則 Forbes JAPAN 執筆記事

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