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能登半島への派遣職員の手記 被災自治体のSOSを見つけるコツ

能登半島地震で、私は1月10日から17日まで、石川県珠洲(すず)市のサポート要員として派遣されました。

派遣が決まったのは前日の14時頃、珠洲市役所で連絡調整員、「リエゾン」をやってほしいと指示があったのです。

ただ、「リエゾン」はちょっと聞きなれない言葉だと思います。

リエゾン(liaison)とは、フランス語で「結びつき」や「連絡」を意味する言葉です。もともとは軍隊で、「リエゾンオフィサー(連絡将校)」という役割を担う将校がいて、指揮系統が異なる各軍隊間の連絡調整をしていました。

例えば、二つの国で構成する連合艦隊であれば、リエゾンオフィサー(連絡将校)が、もう一方の国の旗艦に乗り込んで、自国の艦隊司令と連絡を取り合います。

これと同じ意味で、珠洲市役所に詰めながら、神戸市役所と連絡を取る神戸市職員のことを「リエゾン」と呼んでいます。

この記事では、リエゾンを務めた私の体験をお伝えします。

支援本隊の活動をサポート

まず、避難所の運営や被災者の健康サポートといった特定の役割を持った神戸市の職員たちが、現地に到着したら、すぐに仕事を始められるように準備をします。

じつは1995年の阪神・淡路大震災や2004年の新潟県中越地震のときには、このような役割を持つ職員はいません。

すると、避難所をサポートするにもどこの避難所に行けばいいのか、夜寝るときはどこを宿泊場所にするのか判らない状態で、職員たちがが到着してから、いちから考えるのは混乱を生むだけです。

そんな調整を被災した珠洲市やほかの応援に来ている自治体とやるのが、私の仕事でした。

新たに到着した職員たちが、何ごともなかったように活動を始められると私の仕事は終了。ひそかにうれしいです。

神戸市の支援本部に現地ニーズを

ある日、神戸市の保健師が、避難所で一人のお年寄りがインフルエンザの疑いのあると気づきました。放っておくと、避難所全体に感染が拡大してしまう一歩手前。

ただ、搬送車両がひっ迫して運べません。そこで急遽、避難所巡回チームに患者の搬送を行ってもらいました。

この経験から私は、「保健師は急病人を見つける可能性があるので、被災者を搬送できる車と雪道を運転できる職員を同行させるべき」と、神戸市役所に伝えました。

声に出せない叫びがある

神戸市では、新潟県中越地震で被災地支援をきっかけに、建物調査、水道復旧、避難所支援といったどの業務をサポートするを整理した手引書を作りました。ところがその例外も生じるのです。

私が現地にいた頃は、り災証明の受付件数は全世帯の18%から47%に増加。これから義援金配分や生活再建支援金など、たくさんの支援情報を被災者に届けなければなりません。

そのとき、気になったのは広報分野です。というのは、珠洲市役所の広報担当者は、1人だけ。

あまり知られてませんが、じつは被災した自治体はSOSを発信しません。何とか自分たちだけで頑張ろうとするからです。

そこで、さりげなく彼に「大変じゃないですか?」と聞くと、ハッとしたように「はい」と答えます。ただ、助けてくださいといえない、何かためらいがあるのを私が感じました。

この戸惑いのようなものを破壊するのがリエゾンの腕の見せどころです。

「じつは神戸市では、広報を支援する職員の派遣を準備しています。すぐにでも来てもらえますよ」

と言いました。正直に言えば、その時点で神戸市役所にそんなもの準備していません。

でも、「すぐにでも来てもらえる」という言葉を彼に伝えたかったのです。しかも、私には絶対にウソにならない自信がありました。

阪神・淡路大震災の経験とは?

そこで私は、1ページの半分ほどのワード文書に、広報業務の支援が求められていると書き記して、神戸市役所に送信。

この文書を見た広報戦略部では、職員の派遣を決断するまで、1分もかからなかったと聞きます。

そして、阪神・淡路大震災から29年目の1月17日。広報支援チームは神戸を出発しました。

派遣された広報支援の職員

阪神・淡路の経験は生かせるのか? という質問は、神戸市がこれからもずっと背負い続けると思います。

ところが現実は、29年の間に、震災対策のスキームも大きく変わりました。そもそも、少子高齢化やICT化の進展など、社会自体が様変わりしています。

阪神・淡路大震災の経験をそのまま適用しようとすれば、それは「役に立たない」のが現実です。

でも、神戸市職員は、もしどこかで大きな被害が出たら、自分たちの出番だという姿勢は、組織の文化として、先輩職員から後輩へと受け継がれ、完全に定着していると感じます。

先週、私は神戸に戻りました。じつは今日は平日ですが、珠洲で土日も勤務した分の代休をとらせてもらっています。

ですが、いつでも次のアクションに備えたいと思う深層意識が、私だけでなく多くの神戸市職員の身体にDNAとして潜んでいるような気がしてなりません。

〈この記事を書いた人〉
末若 雅之 /須磨区副区長 兼 北須磨支所長
1994年に神戸市に採用されると、9か月後に阪神・淡路大震災が発生。2011年の東日本大震災では避難所サポートに仙台市に派遣。2019年の東日本水害では神戸市で初めてとなる災害マネジメント総括支援員(総務省制度)として南相馬市に派遣。管理職として子育て支援、企業誘致、危機管理、観光を経験。今まで同じジャンルの仕事をしたことがない。
山口県萩市出身。尊敬しているのは、実家の近所に生家がある高杉晋作よりも、断然、伊藤博文だとか。

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