能登の被災地への派遣職員から報告 「神戸の経験は役立たない」の真意
能登半島地震の発生から半月が経過。全国の自治体から職員が駆け付けて、現地で支援活動をしています。
神戸市役所からは、きょうも128人の職員が活動中。
このような応援は数カ月にわたるので、約1週間ごとに職員を交代させながら続けるやり方がとられます。
そんななか、第1陣として派遣していた職員たちが神戸に戻ってきたので、きょう神戸市役所の14階の大会議室で報告会が行われました。
職員ら約150人が参加。久元喜造市長も参加して行われた報告会を緊急レポートします。
地上部隊が未踏の地でヘリで救助活動
被災地から戻ってきた7名の職員たちが、自分たちが経験した生々しい現地の状況を説明しました。
最初に話をはじめたのは、1月3日にヘリコプターで現地に飛び、救助活動にあたった消防局航空機動隊の小國正英さん。
家屋が倒壊し、長時間下敷きになった患者の搬送や、孤立集落の急病人の救助を行ったとのこと。
特に、道路が寸断され、地上から救助部隊が到達できない場所での救助活動はヘリ部隊にしかできない仕事です。
「雪や強風といった悪条件でのフライトでしたが、一人でも多くの被災者を救いたいとの思いで、日の出から日没ギリギリまで活動しました」
と、小國さんは語ります。
上空からは、能登のいたるところで多くの集落が孤立している様子が見えたと言います。なかには、雪野原に「SOS Babyいます ミルク オムツ ココには50人」と書かれた集落もあったそうです。
ですが、ヘリ1機ではどうすることもできず、地上部隊が来るのを待つしかありません。
救援物資の飲料水で体育館の床が陥没
そんな報告のなかで一番驚いたのは、珠洲市役所の災害対策本部から現地で何が必要なのかという情報を整理していたという、危機管理室の渡邊智明さんの発言でした。
ニュースで、雪のために自衛隊車両でないと入れない孤立地域があり、飲料水が不足していると流れました。ですが、すでに珠洲の中心部にある体育館にはペットボトルの飲料水が大量にあり、翌日には配送予定だったようです。
ところが、そんな報道がきっかけに、大量の飲料水が救援物資として届けられ、なんとその重さで体育館の床が陥没してしまったというのです。今でもそのペットボトルはそのままだとか。
現場のニーズと物資調達が届くタイムラグの問題が、今でも問題になっています。
阪神・淡路の経験が役に立たない理由
渡邊智明さんの報告で、さらに驚いた言葉がありました。
「阪神・淡路大震災での経験は役に立たなかった」
と言うのです。
彼は、阪神・淡路大震災の当時は、神戸市の災害対策本部で広報を担当した経験を持っています。いったいどういうことなのでしょうか。
神戸は150万人が暮らす都市です。一方で珠洲市は、人口だと約1.2万人余り。神戸市の1/100です。
29年前の神戸だと避難者数は最大で約24万人。被害が大きかった東灘区や長田区などでは、一つの小学校に3千人以上の避難者が押し寄せているので、救援物資を配るのにも大変でした。なので、効率的な避難所運営をするのが至上命題だったそうです。
ところが、珠洲では90カ所ほどの避難所がありますが、小規模だと10人以下のところもあります。近所同士のつながりが深く、地域の方だけで集まった小規模な避難所のほうが、むしろ安心できるという話です。
阪神・淡路のときのように、避難所をできるだけ集約し、全て役所で取り仕切ったほうが安心で効率的だという考え方が、ここでは妥当ではありません。
被災地で本当に求められる支援とは?
珠洲市役所は神戸と比べると職員数も少なく、渡邊さんが派遣された時点では、マスコミ対応をする職員すらいなかったそうです。
なので、物資集約拠点の体育館には十分に飲料水があるのに、報道機関にうまく説明できていなかったのが、大量の水が届く原因になりました。
しかも、珠洲市役所自体が4階建ての小さな建物で、大きな会議室がありません。職員らが一堂に会して情報共有をする場所を確保することも難しかったのも、その理由です。
渡邊さんが「役に立たなかった」と、語気を強めてでも言いたかったのは、神戸市のやり方を押し付けず、被災者に寄り添い、被災地の本当のニーズを汲み取って支援活動を行うべきだということだろうと理解しました。
だからこそ神戸市は、広報業務を担う職員の派遣など、これまでになかった形の支援も行っています。
今日の報告会に参加した職員たちは、かたずをのんで被災地から戻ってきた職員らの話に聞き入っていました。
きっと次に派遣される職員がこの中にはたくさんいます。そんな彼ら彼女らにとって貴重な一日になったように思いました。
私も機会があれば、被災地に行ってたいへんな思いをしている人たちのサポートをしてみたい。そんな思いが強まりました!
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