「マニュアル通りにはいかない」能登派遣OB職員が伝えたいこと
元日に起こった能登半島地震から1ヵ月半。今も断水が続く地域も少なくなく、現地の方々は不便を強いられています。
神戸市からは、きょう(2月16日)の時点で48人、これまでで延べ654人の職員が現地支援のために派遣されています。
▼職員の派遣と支援状況
そんななか1月末~2月初めにかけて、阪神・淡路大震災を経験した神戸市職員OBの6人も能登に派遣されました。
その派遣報告会がきょう開催されたため、広報戦略部ライターのゴウが取材してきました。
珠洲市の位置を知って驚き
今回の能登半島地震、全国の自治体からの支援はカウンターパート方式(対口支援)になっており、神戸市は珠洲市の担当であることは、みなさんご存じだと思います。
実は私、この1ヵ月は市役所の仕事を休んでいたため、神戸市の震災支援については、このnoteで読者として知るのみでした。
この記事を担当することになり、改めて「珠洲市って、能登半島のどのへんかな?」と地図を見ると……
えっ、半島のいちばん先っぽやん!
奥能登で遠いとは聞いていたけれど、輪島市よりも向こうだったのか……それは大変なことが多くて当然です。
震災体験のある神戸市が、珠洲市の担当になったのもわかる、と感じました(選定の理由はわからないので、あくまで個人の感想ですが)。
OB職員の能登での役割は?
OB職員として派遣されたみなさんは、それぞれ専門分野が異なります。
この6人が派遣された目的は、現地の先遣調査です。
今は神戸市から、約1週間ずつの交代で職員が応援に駆けつけていますが、もうしばらくすると数ヵ月や1年など、中期・長期で職員が派遣されることになります。
その前段階として、阪神・淡路大震災からの復興を経験したOB職員が現地の状況を把握し、阪神・淡路との共通点や相違点などを、これから派遣される現役職員にアドバイスする役割を担っているというわけです。
ルールは大事、だけど……
ここからは、私の印象に残った報告をお伝えします。
【消防の鍵本さん】
消防職員、とくに当直だった職員の精神的ダメージが大きいと聞いた。今は大丈夫でも後から心身に不調が出ることもあるので、阪神・淡路の経験から全職員へ早めのケアを推奨し、総務省消防庁のカウンセリングも紹介した。
【建築の濱田さん】
珠洲市は高齢化率が50%を超え、この5年で人口が2000人減少し、「消滅可能性都市」に指定されている。そんな中、約4割の世帯が全壊と見込まれている。
災害後、一般的には「避難所→仮設住宅→恒久住宅(災害公営住宅or自力再建)」だが、転出者が増えて災害公営住宅が完成したころには入居者がいない、という可能性も。
学生を呼び込んだり再開発をしたりできるまちではないので、市街地の再生が懸念される。
【生活再建の古川さん】
各種支援を受けるには、罹災(りさい)証明書が必要。罹災証明書の発行には被害状況の調査を受ける必要があるが、市の北部(日本海側)は土砂崩れで道路が寸断されており、調査員が足を運べず、発行が遅れている。
でも互いに顔の見える地域なのだから、足が運べなくてもドローンを飛ばしたり、写真を送付するなどして、臨機応変に対応することを考えてもいいのではないかと感じる。
これから派遣される職員に伝えたいこと
久元喜造市長は「能登半島に対しては、息の長い支援をしていきたい。神戸の経験が役立つこともあると思うので、これからもバックアップをよろしくお願いします」とOB職員をねぎらいました。
最後に、OB職員のみなさんに、これから派遣される職員に伝えたいメッセージをお聞きしました。
「災害復旧には国が定める手続きがあるが、その手続き通りに進まないほどの災害だと感じた。阪神・淡路のときも、国と協議しながら新しい復旧・復興の形を作ってきたので、手続き通りにはいかないという心構えを持ってほしい」
「阪神・淡路の経験をした職員が少なくなりましたから、まず現地で見て、学んでくること。そして、それをまた神戸に生かしてほしいですね」
みなさんのコメントからは、ルールやマニュアルも大事だけれど、大災害ではそれ以上に、柔軟に対応することの重要性が骨身に染みているのだろうな……と伝わってきました。
神戸市の能登半島支援はこれからも続きますが、まずはみなさん、おつかれさまでした!
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